前回の記事はこちらからどうぞ!
⇓
目次
- 一の橋
- 数取地蔵
- 大師の腰かけ石と子授け地蔵
- 中の橋
- 汗かき地蔵と姿見の井戸
- 覚鑁坂
- 身代地蔵(頬切地蔵)
- 仲良し地蔵と化粧地蔵
- 密厳堂と覚鑁上人
- 安産地蔵尊
- 織田信長墓所
- 水向地蔵
- 浅野内匠頭墓所と赤穂四十七士の碑
- あるメッセージ
お稲荷さんを後にし、次なる目的地は奥の院です。
苅萱堂前を通過し、真っ直ぐ歩いていきます。
(バスを待つよりも歩いた方が早いです)

(向かって右手に「清高稲荷」があります)
一の橋
しばらく歩いていくと、やがて「一の橋」が見えてきます。
弘法大師空海は、参詣者をここまで送迎してくださるのだそうです。
(•ө•)/

正式名称は「大渡橋」
一の橋に到着です。
ゆっくり歩いても10分ちょっとで着けるかと思います。
ここからは少し空気が変わって、静かな世界へと入っていきます。
〈橋の手前で一礼します〉
そして約2kmの参道を歩きます。
今回はとてもいいお天気でしたが、何年か前には小雨が降っていて、霧がかった景色がとても幻想的でした!
きっと紅葉や雪景色も素晴らしいことでしょう。



数取地蔵

こちらは、数取地蔵さんです。
閻魔大王と繋がっているようで、高野山へ訪れた参拝者一人一人を覚えておられ、その人が何回来たかをカウントしているのだそうです。
回数が多いほど、功徳を積んだことになり、その回数を閻魔大王へ報告されます。
こうして現世での罪を出来るだけ軽くしてくださる、そんなお地蔵様なのです。
更には帰る人もチェックしているようで、参拝者が戻ってこないので調べたところ、毒蛇に襲われていることがわかり、空海さんに退治してもらったのだとか。
昔は、奥の院付近には、大蛇や毒蛇が多かったようです。
大師の腰かけ石と子授け地蔵

弘法大師空海が、ちょっと休憩にと腰をかけた石なのだそうです。
そんなこと、どうしてわかるのでしょうね。
まぁ、試しに私も腰かけてみましたが…
(*ノωノ)


中の橋

そうこうしているうちに、中の橋前までやって来ました。
正式名称は「手水橋」といい、金河に架かる橋です。
金とは死を意味する隠語で、金河=三途の川とされています。
つまり中の橋は、現世と死の世界の境界線なのだそうです。
では、渡ってみましょうか?
汗かき地蔵と姿見の井戸

こちらは、汗かき地蔵尊です。
汗をかくのは、世の苦しみを地蔵尊が一身に受けて下さっているからなのだとか。
何だか涙が出てきてしまいそうです…。


そして汗かき地蔵のすぐ右奥には、姿見の井戸があります。
この井戸を覗いて、自分の姿が水面に映らなければ、三年以内に死ぬと言われているそうです。
ちなみに私は、ちゃんと映っていました。
(´▽`) ホッ
覚鑁坂

中の橋を渡ってからある石段は、覚鑁坂と呼ばれ、四ニ(死)を越えるという意味があるのか、四三段になっています。
万一途中で転ぶと三年もたないと伝えられ、別名を三年坂と呼ばれています。
(四三段でも「黄泉」と読めてしまうのですけども…)
(;一_一)
身代地蔵(頬切地蔵)

こちらは、右の頬に切り傷のあるお地蔵様です。
人の身代わりとなって頬を斬られたと言い伝えられています。
人々の苦しみや痛みを、すべて地蔵尊が代わって受けとめているので、身代わり地蔵尊と呼ばれています。
何という慈悲深さなのでしょう…
。゚(゚´Д`゚)゚。
仲良し地蔵と化粧地蔵

こちらは、ニ体のお地蔵様がぴったりとくっついて、肩を寄せ合っている仲良し地蔵尊です。
何だかほっこ〜りします。

そして、なかなか珍しいお化粧地蔵さんです。
何でもこのお地蔵様にお化粧すると、美人になれるという信仰があるのだとか。
寛大なお地蔵様なのであります。
密厳堂と覚鑁上人

そしてこちらは、真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である覚鑁上人(興教大師)が祀られているお堂です。
覚鑁上人は、後年高野山と対立し、根来寺を建立して新義真言宗を開きました。
覚鑁上人が高野山に創建した私坊「密厳院」に由来し、密厳上人とも称されています。
(密厳院は現在、「苅萱堂」として知られています)

ここで少し覚鑁上人についてご説明します。
正式には正覚坊 覚鑁上人といい、平安時代後期の真言宗僧侶で、「興教大師」の諡号を持つ、真言宗中興の祖です。
鳥羽上皇の帰依を受けるも、当時の高野山での僧侶の腐敗の立て直しを図ったため、この覚鑁上人の計画に反対した伝統派の僧の集団によって、覚鑁の自坊である金剛峯寺境内の密厳院が放火され焼き払われました。
高野山を追われた覚鑁は、弟子一派と共に、豊福寺に拠点を移します。
そして1143年(康治2年)に覚鑁上人は入滅し、根来寺奥の院の霊廟に埋葬されました。
とても居心地の良い所です。高野山を訪れた際は、是非お参りしていただきたい場所でもあります。
安産地蔵尊

こちらはよく見ると、棒(錫杖)を握っている右手の親指が下になっていて、逆手になっていることから、逆手地蔵とも呼ばれているそうです。
前掛けで確認できませんが、次に訪れた時は確かめてみたいです。
織田信長墓所

信長さんは、高野山と対立し、高野聖を処刑し攻めようとしていたようですが、何故そんな信長公の墓所がここ高野山にあるのでしょうね?
何とな〜くですが、お写真を撮らせて下さいとお願いすると、バツが悪そうな感じをされている気が少し致しました。
それでも快くオッケーしてくれたように感じたのです、ただ何とな〜く…。
水向地蔵

(15体の仏像)
奥の院の手前、御廟橋を渡る直前の右側には、15体もの水向地蔵尊が並んでおられます。
地蔵菩薩のみならず、不動明王や弥勒菩薩、聖観音菩薩もいらっしゃいます。
こちらでは、仏像の前に置かれている、玉川の水が入った水盤の水を手向けて、(先祖を)供養することから、水向地蔵と呼ばれています。
供養の仕方は、御供所で経木(水向塔婆)を購入(¥300)し、そこに供養したい故人の名前(戒名が分からない場合は、俗名でもよかったと思います)や法名などを記入してもらいます。
その水向塔婆をお好きな仏像の足元に置き、三回優しく水を掛けるのが正式なのだそうです。
※頭の上から水をかけてはいけません。
水掛け地蔵ではないのであります。
心静かに、ご先祖様に思いを馳せて、ご供養ください。
浅野内匠頭墓所と赤穂四十七士の碑

と
赤穂四十七士の碑
こちらは、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭墓所と赤穂四十七士の碑です。
諸説あって、何が真実なのかは分かりませんが、凄い時代だったのだなと思います。
一の橋を渡って左のルートへ行くと、こちらには辿り着けないので、最初の頃は探しても見つかりませんでした。
なので、帰りのルートを逆にしてみると、すぐに見つかりました。
あるメッセージ
前回(「高野山④」)の記事掲載から数日後、何気なく新聞を読んでいたら、ある言葉が目に飛び込んできました。
それは…

の文字。
よかったε-(´∀`*)ホッ
6年半経って、ようやくゆるしていただけました!
心底ホッとしたとともに、同じ事をもう二度と繰り返さぬよう、しっかりと心に刻み込みました。
(詳しくは「高野山②〜④」※特に④をお読みください)
ありがとうございます。
そして、長くなってしまいましたが、次はいよいよ奥の院へ、更に高野山の他の場所も回って行きましょう!
(「高野山記事」は次回で終了予定です。)
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
ではまた〜 ٩(๑´0`๑)۶
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
Introduction
真由美 (Mayumi)
singer. songwriter
◇My original songs
YouTube
WordPress
https://note.com/ototukuriya3/n/n8b62a86691f2?sub_rt=share_sbよろしければ、ご視聴&フォローをお願い致します♡
「世界遺産 高野山へ⑤ 令和七年(2025年) ※(あるメッセージ付き)」への1件のフィードバック