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目次
- 隠れていた傲慢さ
- 駄目なものは駄目
- ❛これ❜だったのか…
- Introduction
隠れていた傲慢さ

男ヒノキと女スギ
家に帰る途中も、帰ってからも、私はあの時何故怒られたのか、ずっと考えていました。
特に自分の心の状態がどうであったかを丹念に探りながら。
すると、ふっとある一つのことが思い浮かんだのです。
「私あの時、ちゃんと眷属さんにご挨拶したのだろうか?」と。
清高稲荷社は、本殿前の鳥居をくぐった先は狭くなっており、また薄暗くもあるため、正直眷属さんが目に入りにくいのです。
(今は改修され、大分明るくなりましたが、以前はもっと暗く、境内も荒れた感じでした)
しかし、どんな事情があったにせよ、初参拝でスルーはマズかったと思います。(もちろん初参拝でなくても、無礼な態度となってしまうかもしれません)
更に、前述した通り、[神社にはよくないものもいるため、夕方四時以降はあまり行かない方がよい]と思っていた私は、既に時刻が午後四時近かったこともあり、少々焦っていました。
けれども、核心はそこではなかったのです。
私は、「もっと上手く回れていたら、こんなに遅い時間にならずに済んだのに…」と、自分を責めたり、どこか被害者意識的な考えになっていたので、自分のことしか見えていませんでした。
ましてや、「参拝させていただける」という謙虚さや感謝の気持ちなどありませんでした。
つまり、傲慢だったのです。
「こんな私が、高野山に来たついでにわざわざ参拝してあげているのに」と。
そこを一瞬で見抜かれたということです。
相手は人間ではありませんので、人情というものは持ち合わせていません。
こちらの事情など一切構わずに、
『この者を消す』
くらいの勢いで怒ってきます。
ついうっかりなど、人間の言い訳、甘えでしかないのです。
神仏への礼儀はもちろんのこと、眷属さんへの礼も正さなければ、その存在の気性(性質?)によっては、本当に危ないのです。私のように…
(¯―¯٥)
更に最近では、もう一つの懸念があるのですが、それは「もし、眷属さんだと思っていた存在が、実は神様だったらどうしよう…」問題です。
あちらは名乗っては下さいませんので、確かめようがないのです。
なのでそれを怒られても、こちらも「……」としかなれないのであります。
駄目なものは駄目
長めの参道が続きます

今となっては、ここまでわかるようになりましたが、当時(6年前)の私にはさっぱり理解出来ませんでした。
そしてその翌年も高野山を参拝し、清高稲荷はどうしようか迷いましたが、流石に一年も経っているし、もういいだろうと思い、また同じくらいの時刻に参拝したのです。
今回はもう、前回のような失敗はしないと心に決め、呼吸を整えてから境内に入っていきました。
すると広場まで着いた時、頭上の方から声が聴こえてきたのです。
「またお前かっ!?」
と。
「えぇーっ! 覚えられてる…💧」と少し焦りましたが、想定内のことでもあり仕方ないと思いました。
「前回は大変失礼致しました。申し訳ございませんでした。」と深々と頭を下げ、お詫びの言葉を述べましたが、それが全く伝わっていないことはすぐ分かりました。
何故なら私は、まだあの時どうして怒られたのかがわかっていなかったからです。
[一年経っても変わっていない奴…]
おそらくそんな感じに見られていたのでしょう。
「全く相手にされていない」、そんな何の手応えもない参拝となりました。
その後、高野山へ行く度に一応参拝するようにはしました。
更に次からは、奥の院よりも何処よりもまず清高稲荷を真っ先に参拝するようにもしましたが、相変わらずの感触がその後何年も続きました。
2025年の今年は、プライベートでとても大変なことが重なり、その事を神様にご報告したのですが、神様は私の前の参拝者からお酒をお供えされていたので、おそらくそれを楽しまれていたのでしょう。
「用が済んだらさっさと帰れ」
そう言わんばかりに、早々に追い出されました。
ただこの時、奥の方から、「早く行かないと、色々見て回れないぞ〜」という優しい雰囲気の声も微かに聴こえてきたような気がしたのです。
怒っているのは眷属さんだけで、神様はただそれを見守って下さっているだけなのかもしれません。
「門前払いを食わされないだけ有り難い」、そう思わなければならないのだと、自分に言い聞かせながら、それでも怒られた理由がまだわかっていなかった8ヶ月前の私は、どうしても被害者意識を募らせてしまうのでした。
❛これ❜だったのか…

入り口には
新しい眷属さん
私が、あの時何故怒られたかに気付いたのは、今年の夏頃になってからです。
とある公共の施設で、一人一席横並びになっている机で書き物をしていた時のこと。
私の隣の席に、不機嫌そうにドカッと座る人が現れました。
まるでその席に不満や文句でもあるかのような不機嫌さを晒していることなど、当の本人は思いもしないのでしょう。
横に座っていた私は、不快な気持ちになりました。
夏は皆、避暑地を求めてやって来るので、席はすぐに満席となってしまいます。
皆早くに来て並んで待つのです。
空いていることは奇跡でもあるのに、何故そう不機嫌なのか分かりません。
「こういう人に横に座られると嫌だなぁ」
私は少し、その人の不機嫌さに引き摺られてしまったようでした。
そうしたことが2〜3回続いた時、ふと思い出したのです。
「これ、あの時の私のしたことではないか?」と。
自分のことでいっぱいになって、周りへの配慮に欠けてしまっていた。先にそこにいる方への敬意がなかった。
その結果、あのようなことが起こってしまったのではないか? と。
6年半経って、私はやっとそのことに気付けたのです。
傲慢さをへし折られる時は、酷い痛みを伴います。涙が出るほどイタイ…
(TOT)
しかしおそらく、それこそが愛というものなのでしょう。
武芸などされている方は、我を出すと先生や師匠に鼻をへし折られますよね?
完膚なきまでに…
あれは、上達の最大の邪魔となってしまうからなのです。
眷属さんとは、何れ神となられるであろう方々です。神と人間の間で、人間を成長させて下さる存在でもあり、それが眷属さん方の修行でもあるように思うのです。
神様修行はとても厳しいようですが、
ダメなものはダメ
これは、どんな神様も一貫しておられます。泣こうが喚こうが死のうが、ならぬものはならぬのです。
来年もしまた清高稲荷に行けたなら、そのことはキチンとお伝えしなければならないなと思っています。
ただ、神仏(眷属さんも)とは合う合わないもあるようなので、それでも合わないようであれば、その参拝を最後にしようと思います。
清高稲荷大明神編はこれにて終了し、いよいよ次からは、高野山の色々な所を見て回りましょう!
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
それではまた〜 (*゚∀゚)/~~~
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Introduction
真由美 (Mayumi)
singer, songwriter
■My original songs
YouTube
http://www.youtube.com/@mayumicrearemusicanote
https://note.com/ototukuriya3/n/n8b62a86691f2?sub_rt=share_sbよろしければご視聴&フォローをお願いします♡
「世界遺産 高野山へ④ 令和七年(2025年) 〜清高稲荷大明神 其の参~」に3件のコメントがあります