アブナイヨ アブナイヨ

先日、お風呂上りにお水を飲んでいた時に、微かに聴こえてきた声…。
アブナイヨ~ 💧💧 アブナイヨ~
蛇口を捻り、水道からコップ一杯のお水を汲み、飲んでいました。
浄水器は付いていない、
ごく普通の水道水。

人の声ではありませんでした。 それは、私がこれまで一度も聴いたことのなかった、自然の精霊(水の精)の声だと、何故か直ぐにわかりました。
あぁ、水道水(だけに限らないとは思うが…)は、危険なのだなと思いました。
神や守護霊様方とは明らかに違う、とても小さく消えそうな程の声でありながら、ハッキリと警告するような意味を持たせて、発せられていました。
私は、必要な時には、そうした神仏の声が聴こえることがこれまで何度かありました。
人間や、中途半端な怪しいものには決して出せない、深ーい慈悲があるかどうかが、見極める際の大きな点です。
(善くないものとの違いは、そこに一切怖がらせる要素がないこと。こうした警告であっても、全く怖くなく、無邪気な子供の様に可愛らしい印象を受けました。)
そしてその時、ひょっとしたらこれまでも、そうした自然の精霊たちの声は、私たちに発せられてきていたのかもしれないと思いました。
私は、神とか仏とか、人間よりも偉大で、畏敬の念を抱く存在の声だけを聴こう聴きたいと思い、一生懸命そちらにばかり意識、注意を向けていました。
或いは、己の心の声を聴こうと、一人静かに坐り、自分にだけ集中して過ごしてきました。 勿論それは、決して悪い事ではないし、しないよりした方がいいことだとも思っています。
しかし、それだけに偏ることで、他の声を聴き逃していたのだということに気付いたのです。

気の精霊からの声も、
発せられていたのかもしれない。
アブナイヨ アブナイヨ
きっと、土の精霊たちも…。
アブナイヨ アブナイヨ

まさかそんなこと・・・。
と言う、そのまさかに、一度しっかりと目を向けてみる。

ただの陰謀論だという証拠がなければ、
陰謀論だと言うことが、陰謀になり兼ねない。
戦時中は、実際に行われていたことだけに。
ファンタジーか!?
自分でもこう思って、自分に突っ込みを入れたり、笑い飛ばしたこともある。
『最近、疲れてるのかな…。』
そんな風に、ただの勘違いか何かかと思いたくて、そういう事にしてもらいたくて、どこかで気付かないふりをしていたこともあったな。
変な目で見られたり、これまで頑張って築いてきた信頼関係を、全部捨てるようなことは、とても出来そうになかった。
損得勘定で秤にかけて、だんまりを決めることもあっただろう、自覚もなく…。
黙っていたら、攻撃されることも、窮地に立たされることもないし、何より人が離れていかないから。
…弱いな。 随分と弱くなったのだな…。
今思えば、日々そんな葛藤を抱えながらも、何とかこれまで生きてこれたのだと、今、自分が生きていることを、ただただ嬉しく思う。 感謝である。 生きた分だけちゃんと、成長させて頂いている。
彼ら(自然の精霊たち)は、この地球環境を守り、維持していく役を担っているようなので、きっと彼らも日夜、お役目に励まれておられる事だろう。
この地球を維持するために、こんなにたくさんの仲間たちが尽力して下さっているのだなあ。 それをとても心強く思うと同時に、ゴミ拾いをしながら、人間の所業、愚行を、恥ずかしく申し訳なく思う。
どこかでセーブしていたこういった話を、これから私は、誰に遠慮することなく大っぴらにしていくつもりだ。
自分は視覚型ではないようなので、目に見えないものは見えないけれど、耳に聞こえないものが、たまに聴こえてくることはある。
何故たまにか。 それはきっと、私に言っても、誰かに伝えたりせずに、自分の中だけで持っているだけだから。 伝える方も、それでは意味がないから、伝えようとはしないのだと思う。
こんな風に、神仏のお役にはまだまだなれない私だけれど、同等の立場である精霊さんたちからの、好意による警告(多分彼らは、人間に対してのお役目は持っていないと思われる。私が勝手に、日々話し掛けて、感謝していただけ。)は、大変うれしく、有り難く、だからこそたとえどんなに小さな声でも、届けられたのだと思う。
彼らが守っているこの地球を、私も守りたいと思ったし、彼らのことも守りたいと思った。
改めてここは、人間だけに委ねられた場所ではないのだな。 当然だけど。
そして、命あるものだけのものでもないのだな。
死者の方がはるかに多いし、そんな中で今生きていることは奇跡だし、それはきっと何かすることがあるからだと思う方が、むしろ自然だ。
それに気付き、それに生きる覚悟が出来た時に、次なる声が聴こえてくるのかもしれない…。
最後までお読み下さり、ありがとうございました❤
では、また~ (・ω・)ノ
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